Past Age of Emerald

宝石言葉
新たな始まり・先見の明

Brandoff Past 歴史と沿革

「過去」
ブランドオフが生まれてから、これまでの軌跡をご案内します。

それは、エメラルドの時代。
先見の明という一筋の光が差し込み、新たな始まりを告げ、瑞々しい緑が芽吹き、成長していきます。

創業者 安山勉 が始めた小さなショップが、「ブランドオフ」になるまでの物語です。

「ホンモノを届けたい」道は、ここからはじまった。1996 萌芽期

Age of Emerald
1996

正規ブランド新品並行輸入販売店 1号店「メルシー加賀店」オープン

その時、安山 勉は、唸っていた。
なぜ、ここにはブランドショップがないのか?
なぜ、ここには、偽物が溢れているのか?

石川県金沢市は、言わずと知れた加賀百万石の名残を持つクラス感のある古都。
人口40万人ほどの地方都市ではあるが、
富裕層と呼ばれる人々や、モードを求める人々が多い地域である。
しかし、当時はルイ・ヴィトンやシャネルといったブランドショップが無い。

今のようにネット通販も充実していない時代だ。
金沢でブランド品が欲しい人は、東京や海外で買い付けて来るか、
地域のファッション店舗でコピー商品を掴まされるかの二者択一しかなかった。
街を歩く女性たちが、偽物を堂々と持っている現実…
安山 勉は、ブランド品の哲学に反するこの状況に危機感を感じていた。

丁度その頃、当時の職場であったレジャー施設の取扱い景品の中に、
ブランド品をラインナップする事になり…
ブランド品の並行輸入という仕入れルートを学び、確立する事ができた。
もう、迷いは無かった。金沢の皆様に、金沢にいながら、本物の品格をお届けしたい…
安山 勉、29歳。正規ブランド品並行輸入店「メルシー加賀店」をオープン。

それまでの職を続けながらの、二足のわらじ生活が始まった。

Age of Emerald
1997

正規ブランド新品並行輸入販売店 2号店「メルシー金沢本店」オープン

金沢に居ながらにして、本物のブランドを買える店をつくりたい…
ブランドの持つ哲学を身にまとう事で生まれるエレガントさ、自信といったものを、
この地の人々に提供したい…

メルシー加賀店のオープン後、店にはたくさんの女性たちが押し寄せた。
バブルの恩恵で海外のハイブランドを知った市場は、その感覚を忘れずにいたのだ。
比較的富裕層が多いこの地の人々に、「メルシー」は両手を広げて歓迎された格好だった。

「今までは、東京でしか手に入らなかった品物が、金沢で買えるなんて。」
「私のヴィトン、どうも偽物だったみたい…恥ずかしいわ。今日、本物を買うわ。」
「シャネルの新作、もう入っているの?嬉しいわ。」

買物に訪れた女性客は次々にこう云った…「ありがとう」と。
安山勉と、店長を務めていたその妻、安山千加子は、「メルシー」と返した。
「メルシー?」
「フランス語で、ありがとう、という意味です。」
「そうですか、こちらの商品は、フランスものが多いですものね。」
「はい、しかも全て本物です。ブランド品の哲学までを、お客様にご提供しようと。」
「そう、わかったわ。メルシー!」

そんな会話が日常に飛び交う中、安山は、市場に応える形で、2号店をオープンした。
それが、「メルシー金沢本店」だ。

Age of Emerald
1997

ブランドリサイクルショップ1号店 誕生!「ブランドリサイクル金沢本店」

2店舗目の「メルシー」も順調だった。
沢山のお客様が訪れ、ブランド品という形の夢や哲学やスタイルを求めて行かれる。
安山 勉は、自分の道は間違っていなかったと確信していた。

しかしそんな頃、近くの大手家電量販店が、「ブランド品」を取り扱うようになった。
メルシーの成功を見て、この市場への参入を決めた模様だ。
資本力で勝る彼らは、大量仕入れによる数の論理で、
メルシーよりも安価な設定をしてきた。
メルシーは、安山が妻と営む個人商店だ。とても値段では太刀打ちできない…
みるみるうちに、メルシーの売り上げは下降していった。

だが同じ頃…メルシーのお客様から、こんな声が聞かれていた。
「せっかく買ったブランド品…デザインはいいのだけれど、私には使いにくくって…」
「ブランドバッグを衝動買いしたそばから新作を発見。欲しい!…でもお金がない…」
「やっぱりブランド品は高いわ…そう何個も次々に買えないし…」

安山は、ヒラメキを覚えた…「これだ、ブランドリサイクルだ!」と。
大切にされていたブランド品を買い取る事で、お客様は新しいブランド品を買える。
買い取ったブランド品を丁寧に販売する事で、新たなお客様に廉価で提供できる。
メルシーの窮地を救ったのは、心から信頼していただいた、お客様の声からであった。

そして、メルシー金沢店内に、初のブランドリサイクルショップを開店させた。
それが、「ブランドオフ 金沢本店」である。

「ブランド二次流通」人生で登る山を決めた。1998 揺籃期

Age of Emerald
1998

ブランドリサイクルショップ、ショッピングモールに出店! 誕生!「ブランドオフ アピタ松任店」

ブランドリサイクル金沢本店を開店するとすぐに、
驚くようなオファーが舞い込んだ。

それは「ショッピングモールに、ブランドリサイクルショップを出店しないか?」
…と、いうものである。もちろん、市場を見渡しても前例がない。

いくらブランド品を取り扱っているとはいえ、
ファッション性も問われ、家族が集うショッピングモールに、リサイクルショップだと?
安山は、その非常識なオファーに一瞬戸惑ったが、すぐに未来を見つめてみた。
そして、「この出店は、たとえ今、非常識な事でも…そのうち常識になる。」と思った。

それは、心に先見の明の光が差し、エメラルドが宿った瞬間だった。

安山は、輝くその光に導かれ、アピタ松任店にブランドリサイクルショップを開店させた。
商号は、希少なブランド品を廉価に提供したいという思いを込めて、
「ブランドオフ」と命名した。名実共に、「ブランドオフ」が誕生した瞬間である。

非常識とも思われた前例のないオファーは実を結び、店には、大勢の人が訪れた。
日常の買い物のついでに、家族のレジャーのついでに、ブランド品を見て、廉価に買える。
これは、ブランド品購入の新しいスタイルを確立した、飛躍の一歩である。

この年、安山 勉は、前職を辞め、事業に専念する決心をした。

Age of Emerald
2001

ついに法人化! 有限会社ブランドオフ、設立!

非常識とも思われた、ショッピングモールへのリサイクルショップ出店は、
安山の読み通り、易々と市場に馴染んでいった。
「ブランドオフ アピタ松任店」を皮切りに、
「ブランドオフ アピタ砺波店」、「ブランドオフ アピタ富山東店」と次々開店していった。

いろいろな企業から、出店依頼が届く。
いろいろなお客様から、買取依頼が届く。
いろいろな地域から、出店希望が届く。

事業規模が大きくなるにつれ、安山夫妻で営む“個人商店”という器には、
やりたい事、やるべき事が、収まらなくなってきた。

安山は決断した。「この事業を法人化し、社会的意義を見出し、その責任を果たそう」と。
世はグローバル化と共に、エコロジーが叫ばれてきた時代である。
豊かな消費文化が根づいていたが、後に失われた10年と呼ばれる不景気の最中である。
「希少で価値のあるブランド品を廉価に…」
「品物を大切に扱い、心までをも繋いでいく…」

そうして遂に、2001年9月…「有限会社ブランドオフ」が設立された。
1996年のメルシー開店から、5年半後のことであった。

Age of Emerald
2001

 
金沢IT事業部を開設。 Webオンラインショップ、オープン!

メルシー・ブランドオフの出店数は、6店舗を数えるようになった。
全国各地から、相変わらず出店オファーは後を絶たない。

全国各地には、本物のブランド品を手に入れたい人が、大勢いる。
そして、できるだけ廉価に手に入れたいと思っている。
市場のニーズとシーズは、明らかに「ブランドオフ」を求めている。

しかし、ブランド品の知識や査定力も必要なこの仕事、
人が育っていない段階で、店の箱だけ作っても、何の意味もない。

安山は、当時あらゆる業界での開設が目白押しとなっていた、
「Eショップ」に目を向けた。リサイクル業界では、かなり早い先見の明である。

2001年といえば、パソコン普及率が50%を超え、
ケータイ電話を含むインターネット普及率が、60%を超えた年である。
ちょうど日本全国で過半数の人々が、ネチズン[ネット市民]となったタイミングだ。

安山は、本拠地金沢に、「金沢IT事業部」を設立。
そして「ブランドオフ Web店」を、オープンしたのである。
このサービスは、日本中のブランドファンに愛されるコアとして成長を遂げた。

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2002

 
ブランド品の偽物は、絶対に許さない!プラダ事件を受けて… AACD日本流通自主管理協会に、加盟!

2000年代前半の数年間、
イタリアのファッションブランド「PRADA」の人気は、凄まじいものであった。
こと日本市場においては熱狂的とも形容できる過熱ぶりで、
PRADAの製品の約8割が、日本に輸出されているという異常な状況であった。
ファッション性に富み、丈夫で使い易いナイロンバッグ・ナイロンリュック…
街行く女性たちは、こぞってPRADAを身に着けていた。
しかし…その「PRADA」の多くは…残念ながら、偽物だったのだ。

粗悪な偽物ならば、すぐに見分けもついたものの…その顛末は惨憺たるものだ。
PRADAの正規工場のスタッフたちが、不正輸出をしていたというカラクリだったのだ。
そう、PRADAの工場の社員たちが製品を勝手に横流しし、私腹を肥やしていたという訳だ。
生地も縫製も正規品と同じ品…だけれど、納品書が偽物…
製品は本物と全く同じであるが、不正流通された事による偽物…何とも分かりにくい品。
もちろん、日本のリユース市場には大混乱が起きた。

多くのリユース業者がグレーな品を販売する中、安山は、断固それを拒否した。
仕入れた品を売らなければ、経営が鈍化する…喉から手が出るほど売上が欲しい…
しかし、「偽物を売ればお金は入るが、信用という財産を失う事になる」…と。
そして、日本流通自主管理協会という協会に自ら加盟し、
偽造品や不正流通品を排除する取組に、積極的に参画するようになるのだ。
「ブランド品の偽物は、許さない!」…この誠意は、創業以来一貫して、
ブランドオフの絶対的な鉄の掟となっている。

株式会社に組織変更「夢」を「目標」と呼び換えよう。 2002 確立期

Age of Emerald
2001

 
さらなる飛躍へ… 「株式会社ブランドオフ」に組織変更!

新品ブランド品店「メルシー加賀店」の開店より、6年の歳月が過ぎた。
ブランド品をとりまく市場環境は大きく変わり、
ブランドリユース品への理解は深まり、ニーズも高まってきた。

有限会社ブランドオフを設立して、まだ一年にも満たない。
しかし、もはやその器では収まらないほどに、事業が急成長していった。

名だたるショッピングモールからの出店依頼が、後を絶たない。
全国津々浦々から、ブランド品・ブランドリユース品のニーズが聞こえる。

安山は決心した。
「ブランドオフ」は、社会的責任を果たす企業にならんと。

それは、有限会社設立の際にも決心した事ではあったが、
今回の決心は、さらにその意志を、深く意識し、広く周知させるものであった。

株式会社に組織変更する事によって、法人としての可能性は大いに広がる。
より多くの人に関わりを求め、より多くの資金を集め、
より多くの人に幸せを届ける、事業拡大への道筋を立てる事もできるのだから。

安山 勉は、男としてのさらなる立身を、ここに誓ったのであった。

Age of Emerald
2002

市場の声にお応えして… 「フランチャイズ事業本部」開設!

先にニーズがあった。
市場にニーズが溢れていたのだ。

ブランド品の買取やリユース品販売を行っている「ブランドオフ」は、
一等地への出店や、イオンやアピタなど有名モールへの出店により、
次第に、ブランドリサイクル業界の「ブランド」として認知されるようになった。
そして、そのビジネスモデルにも、大きな興味を抱かれるようになったのだ。

商品を「売る」よりも、「買う」ことが主体のビジネス。
ブランドオフのフランチャイズ用ビジネスモデルは、
資金回転率を重視した買取専門店というスタイルだ。
売り場面積や在庫などのランニングコストを抑え、
買い取った商品をすぐに業者専門オークションへ出品する事で、
小資本、かつ高資金回転を実現する、画期的な仕組みを確立した。

加えて、ブランド品や宝飾品の買取に必要な「真贋判定技術」を培うための情報と、
神の見えざる手に適った「取引額相場」の情報をマニュアル化し、
志ある誰もが、ブランドオフのショップ経営者になれるようになったのだ。

フランチャイズ事業本部開設…
それは、ブランドオフのビジネスモデルそのものが、
国内どの市場においても通用する「強さ」がある事を証明するものとなった。

Age of Emerald
2003

 
「メルシー」「クレディ」 新品ブランドショップを吸収合併!

ブランド品のリユース業を主たる業務としている「ブランドオフ」だが、
安山 勉の起業の切口は、「新品ブランド品の並行輸入販売」であった。

この年…1号店の看板となった「メルシー」と、
その後開店した「クレディ」を吸収合併し、総じて「ブランドオフ」とした。

新品ブランドショップも、ブランドオフへ。
各チャネルの力を束ねて、「ブランドオフ」のパワーをより強いものにしようと。

ブランドオフは…
ブランドリユース品の買取・販売。
ブランド新品の販売の両方を、ブランド品市場の両翼として捉えたのだ。

リユースも新品も…
価値あるブランド品を、お客様が手に入り易い状況で販売したい。

それは、
ブランド品が手に入りにくかった地方の人々…
粗悪な模倣品を手に入れてしまった人々…
高価で手に入れる事のできなかった人々…
ブランド品を愛する、全てのニーズに応える決心だった。

繋がる、拡がる、ブランドオフイズム 2005 発展期

Age of Emerald
2005

社長:安山 勉の実兄、東口 浩が、ブランドオフに戦力として加入! ブランドオフ兄弟の誕生!

安山 勉には、浩という4歳年上の兄がいた。幼い頃はよく一緒に遊んだものだが、
兄の高校卒業後以降は、盆正月に逢うだけの仲になっていた。
そう、立身出世を胸に、お互いがそれぞれ、自分の信じる道を歩いていたのだ。
しかし運命は、その二つの道の先を再び交わらせるのであった。

既にブランドオフを法人化していた安山は、
会社の急成長に伴い、信用できる有能な幹部が必要だと切望していた。
しかし、そのような幹部候補が、易々と見つかるはずもない。
途方に暮れていた頃、「灯台下暗し」という言葉が頭をよぎった。
…そして…兄、東口 浩の顔が浮かんのだ。

東口 浩は、料理の有名専門学校を出た後、
ホテルのマネージャーやゴルフ場の支配人を務めていた。
まさに接客業におけるプロフェッショナルだ。
その高いスキルは、高質なブランディングのための不可欠なものであった。

安山 勉の実兄、東口 浩は、ブランドオフに入社を果たす。
そして、後に専務取締役に就任し、ブランドオフの快進撃の一躍を担うのである。

動力飛行機を発明した「ライト兄弟」から、
テニスダブルスで快進撃を続ける「ブライアン兄弟」、
はたまた人気漫画の「宇宙兄弟」まで、兄弟には不思議なパワーが宿る。
そう、ここに誕生した「ブランドオフ兄弟」も、その例だ。

Age of Emerald
2005

 
インターネット事業部加賀開設! 「ヤフーオークションサイト」オープン!

今やネットオークションといえば「ヤフオク!」と言われるほど、
旧名「Yahoo!オークションサイト」は、世界でも類をみない発展を遂げている。

ブランドリサイクル業界におけるインターネット領域への進出は早かった。
2005年、ブランドオフは、その舵を、オークション分野にも切る事にした。

1999年に開始されたそのオークションサービスは、
2005年頃には広く認知され、普通の人が当たり前に利用するようになっていた。
しかし当時、急成長した新たな市場には、多くのトラブルもあったのだ。
出品された商品が「偽物」であったり、
手数料や消費税が「不正請求」されたり、(※消費税はリユース品にはかからない)
料金振込後に商品が届かなかったり…

「お客様に本物の品を、手に入り易い価格で届けたい!」
ブランドオフのその信念は、オークション市場にも注ぎ込まれる事になる。

Yahoo!オークションサイトの運営のために、
新たなIT部署…「インターネット事業部加賀」が開設された。
新たなWeb市場への本格的な進出が始まった。

Age of Emerald
2006

日本の世界のショッピング・ブランド品のセントラルへ! ブランドオフ銀座本店オープン!

銀座という街は、街そのものがブランドと化している、稀有な街である。
戦前より、世界中・日本中から逸品が集まり、
海外の文化と日本の文化が交差しながら“一流品”を発信する買物天国となっていたが、
2000年代よりティファニー・エルメス・アルマーニなど、
一流ファッションブランドがこぞって旗艦店を出店した事から、
街のブランド力はさらに高まり、今や世界中から憧憬を受ける対象となっている。

そんな銀座の中でも中心地中の中心である地が、銀座四丁目交差点である。
中央通りと晴海通りが交差し、三越と和光が象徴的に向かい合う景色は、
一つのランドマークとして、世界的にも高名だ。

「えっ?銀座四丁目交差点に、ブランドオフを…ですか?」
…出店話が突然に舞い込んだ。和光の南西向かいにある、三愛ビルだ。
世界有数の一等地に出店できるチャンスだなんて、そうそう訪れる訳ではない。
しかし、そのブランド力やステイタスと引き換えに、多額の費用が発生する。
銀座出店には、銀行やファンド等、誰もが反対した。「そんな冒険はするな。」と。
安山は、悩んだ末に、実兄でもある東口に相談をした。
すると東口は、「このチャンスは、出店すべきだ。」と答えた。

2006年7月、ブランドオフ銀座本店オープン。開店前より長蛇の列が連なり、
店は連日大盛況。この出店が、企業価値を高めるものとなった。
この出店を機に、BRAND OFF のロゴマークに、TOKYOを冠する事となる。

Age of Emerald
2007

ブランド品のオークション主催、金沢にて開始! JBA日本ブランドオークション開催!

ブランドオフでは創業以来、「ブランド品の買取・販売」という、
リユース・リサイクル業にも注力をしていた。
日々かなりの量のブランド品が持ち込まれ、査定のうえ即金で買取り、
その商品を美しく磨き上げ、「BRAND OFF」のショップで販売をしている。

価値ある本物のブランド品が集まる“ブランドオフ”には、
同業他社とも言える業界各社から、ブランド品の販売依頼が来ることも少なくなかった。

そこで、安山は思った。
BtoCだけではなく、BtoBの世界にも、ブランドオフの価値観を広められたら…
「業界向けのオークションを開催しよう!」と。
当時開催されているブランド品のオークションといえば、参加条件が厳しく、
非常に限定された閉鎖的な世界での取引のみだったのだ。

安山は、主催オークション名を「JBA=Japan・Brand・Auction」と名付け、
古物許可番号を取得している者なら誰でも、
法人・個人を問わずに参加できるという、開かれたオークションを創設した。

安山の読みは当たり、参加者数・取扱い品数・取扱い金額は、
回を追うたびに増加の一途を辿った。
金沢で開始されたこのJBAオークションは、
後に、銀座・香港・台湾へと拡大する事となる。

Age of Emerald
2004〜2008

イオン・アピタなどを中心に、全国の有名スポットにブランドオフを。 全国のランドマーク施設に続々出店!

2000年代中盤、ブランドオフの出店スピードは、一気に加速した。
イオンやアピタといった大型ショッピングモールが各地に開店するたびに、
「BRAND OFF」への出店要請が舞い込む。
全ての店に出店したい気持ちを抑え、店長候補が育つスピードを待ちながら、
できるだけ多くの地域に「ブランドオフ」のバリューを届けようと奮起した。

毎月のように、日本のそこかしこで、「BRAND OFF」が開店する。
それは、出店ラッシュと言えるようなスピードだった。

そしてその出店場所は、
ブランドオフのブランディングに直結するようなランドマークばかり。

北海道から九州まで、日本全国主要エリアの主要施設に、
「BRANDO OFF」の旗がたなびく事になったのだ。

一気に認知を得ながら、市場からの支持を集め、売り上げも拡大していった。
それは、上場基準に達するほどの勢いだった。
「一人でも多くの人に、本物の良い品を、手に入り易い価格で…」
安山 勉の志が、現実のものとなっていった。

Age of Emerald
2007

ブランドオフの本丸が完成!各界の著名人が集う豪華レセプションも開催! 自社ビル竣工!金沢本店オープン!

2007年6月、安山 勉の夢が、また一つ叶った。
それは、ブランドオフの世界観を内外に浸透させるためのシンボルとなる、
本社本店社屋の竣工だ。

クラシカルな欧風ゴシック建築を思わせるアーチ型デザインを、
洗練されたアーバンデザインにて再解釈し、
伝統と格式を漂わせながら、都会的クラス感のある外内観に仕上がった。
社長 安山 勉自らがグランドデザインを行ったものだ。

盛大なオープニングパーティーには各界から著名人がお祝いに駆けつけてくれた。
伝統と革新が織りなす独自の世界を創る…華道家の假屋崎省吾さん。
和文化に精通しながら世界一のパティシエとなった地元の友人…辻口博啓さん。
聖なる歌声として高名なシンガーソングライター…カノンさん。
来賓者のうち彼ら三人は、
五感に深く響く、圧巻のライブパフォーマンスを披露してくれた。

この日は特別な一日となった。記憶に残る、高感度な夜だ。

ただ、これはゴールではない。
ブランドオフの理念を世界に共鳴させるための、新たなスタートだ。
経営陣・社員が一丸となって、
ブランドオフの発展に加速度をつけるための記念日なのだ。

香港に海外初進出 日本Valueを世界へ 2008 隆盛期

Age of Emerald
2008

香港現地法人設立!香港1号店オープン! 初の海外展開を香港でスタート!

2008年6月、ブランドオフにまた、新しい風が吹いた。
香港現地法人「BRANDOFF LIMITED」を設立し、
念願の海外初進出を「APITA香港店」オープンを以って果たしたのだ。

安山 勉の夢は、
日本的な「ブランドリサイクル哲学」を、世界中に広めるという事だ。
しかし、「なぜ香港を選んだのか?」…と、頻繁に問われる。

香港は、世界中のセレブリティと共に、一流のブランド品が集う街だ。
イギリス統治下時代より百年以上、自由貿易の精神を元に、
独自の文化を形成してきた、世界都市である。
中国の特区として、新しい富裕層が集まってきている。
香港の生活者は自由で成熟しており、現地のみでもマーケットが見込める。
…香港を選んだ論理的理由は、いくつだって枚挙できる。

だけど、その理由のコアは、そうではないのだ。
ある日…安山の心に大きな風が吹き、そして、囁いたのだ。
「あなたは今、香港に行くべきだ。」と。
ただの勘だと侮るなかれ…時には、空耳を信じる。
それが、男と言うものだ。心の声に、従うのだ。

2015年3月現在、あの狭い香港に、15店舗を構えるまでに成長している。

Age of Emerald
2009

海外拠点拡大!台湾へも進出! ブランドオフ台湾店オープン!

香港に出店した翌年、ブランドオフは台湾進出を果たした。
海外進出2拠点目だ。

台湾という街は、非常に親日家が多い事で有名だ。
日本の雑誌が普通に売られており、日本の芸能人の人気も高い。
日本ならではの文化にシンパシーを感じる生活者をターゲットに、
ここでも「ブランドオフの哲学」を広めたいと考えていた。

予感は好的中した。
開店前の店舗に、あれよあれよと人だかりが出来る…
行列が苦手な台湾人だが、ここは日本的な行列にすんなりと順応してくれる。

良いスタッフにも恵まれた。
才色兼備の現地スタッフ採用に成功し、高品質な日本的接客術と共に、
現地生活者目線のショッピングアドバイスも提供する事ができた。

富裕層は新品ブランド品を買い漁る…一般層は偽物ブランド品に手を出す…
そんな負の文化を断ち切る契機を、
日本的な「ブライドリサイクル哲学」という新たな文化の注入で、
創出したいと考えた。
読みは当たった。
ブランドオフ台湾は、2015年現在、5店舗にまで拡大している。

Age of Emerald
2009

 
上昇気流の中で、思わぬ世界的激震に見舞われる… リーマンショックの余波は根深く…

それは突然の出来事だった。
多くの著名な世界的アナリストが、予想さえ出来なかった事件が起きた。

「青天の霹靂」 …思いもよらない事件や変動が突然起きる事…
こんな故事がお誂え向きな激震、「リーマンショック」の発生だ。

一つの企業の廃業が、世界的な金融危機を引き起こした。
日本も例外ではない。
昨日までの有価証券が今日には紙屑と化し、多くの企業が経営難に陥った。

市場は一気に冷え込む。

これまでブランドオフは、株式上場も夢ではないような勢いで成長し続けていた。
しかし、創業後初めて、この成長に陰りが見えたのである。
上場前の基準期は、圧倒的な上昇気流に乗っていなければならない。
けれども…上昇気流なんてもの、世界中のどこを探しても見当たらない。

そんな時代だ。

ブランドオフも、日本経済も、世界経済も、
しばらくは、非常に険しい困窮の道を辿る事となる。

Age of Emerald
2011〜2013

海外拠点拡大!中国本土…上海へも進出! ブランドオフ上海に複数店オープン。

急激な経済発展を遂げている、中国は上海。
海外進出の3拠点目として、安山 勉は、アジアの新中心地であるこの地を選んだ。
正直、香港・台湾の海外進出で、大きな手応えを感じていた。
上海においても、同じような成功体験をなぞれると考えていた。

海外進出では、一気にその地域一円に大きなインパクトを与える出店が必要だ。
一店舗進出しただけでは、大した話題にもならず、ブランドとして認知されない。
そこで安山は、「ブランドオフ上海南京西路店」のオープン直後、
すぐに2店舗目の出店準備にとりかかり、
その3か月後には「ブランドオフ上海南京東路店」をオープンさせた。
南京西路と言えば、上海一のブランドモールや高級ホテルが立ち並ぶ。
南京東路と言えば、戦前から賑わい古い通りで、老舗も多く立ち並ぶ。
上海を代表する2つの大通りに店を構え、一気に地位を確立する算段だった。

翌年翌々年と店舗を拡大し、5店舗にまでに増やした、
しかし政治的影響によりブランドオフは、上海で花を咲かせる事は出来なかった。
そして安山は、痛恨の極みを伴いながらも…
中国市場にしばし別れを告げる決断をした。全店撤廃である。

中国100店舗構想は一次中断
必ず帰ってくる!安山は再チャレンジを決意するのだった。

Age of Emerald
2012〜2013

海外拠点拡大!韓国へも進出! ブランドオフ韓国に複数店オープン。

ブランドオフの海外進出拡大は、前進あるのみという状況だった。
香港・台湾・上海に続くフロンティアは、隣国である「韓国」だ。

韓国は中国本土に比べて、はるかに一般生活者の消費文化が成熟している。
嫌日な国民性が叫ばれることが多いが、
こと文化においては、実はフラットな感覚を持つ生活者が多いのだ。
「いいものはいい」と。実際、韓国市場で成功している日本メーカーも多い。

安山は、2012年10月には「韓国 アックジョン店」、
翌月11月には「韓国 ノヒョン店」を立て続けにオープンした。

オープン初日、寒空の中にも関わらず、店の前には長蛇の列ができた。
安山が演出する「オッパーカンナムスタイル」は、韓国市場に受け入れられた。
カンナム(江南)とは、ソウルの高級住宅街の事。
オッパーとは、「お兄さん」という意だ。
ハイソで品のある、乗馬をするようなお坊ちゃんの事を、韓国ではしばしばこう呼ぶ。
日本でも人気のPSYの歌詞にも登場する表現だ。

しかし、韓国も中国と同様、政治的影響が強くまたもや痛恨の極みを味わうことになる。
安山は、「この地は、今ではない」…と、暫しの別れを決意。

ブランドオフ第二章はじまる 日本中へ。世界中へ。2015 第二次発展期

Age of Emerald
2015〜

BRANDOFF TOKYO
海外進出を具体的なアクションプランへ。 ブランドオフの価値観を世界中へ!

安山 勉の夢は、日本的価値観に基づく「ブランドオフの哲学」を、
世界中に広める事である。

価値あるブランド品の、クオリティやフィロソフィはそのままに、
できるだけ廉価に商品を提供できるスタイル。
3R(リユース・リデュース・リサイクル)の精神と、
現代的なライフスタイルの融合。

既に展開してきたアジア圏のみならず、北米や欧州エリア、その他の地域にも、
「ブランドオフ」を展開していきたいと考えている。
私利私欲のためではなく、社会的価値の高い事業を、世界各地に根付かせたいと。

振り返ると…創業からこれまでの時間は、
世界に本格的に飛び立つための滑走路だったと思える。
成功も失敗も体験し、今やっと、夢を目標と呼び換えられる時期にきた。

目標を手中にした今こそ、
戦略と戦術を練り、アクションプランに落とし込む事ができる。
離陸準備が完了するのは、もう、目前だ。

皆で一丸となって、さあ行かん!
いざ、テイクオフ!!!